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戦後70年の安倍首相の談話の中で,「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」という言葉があった.戦後レジームからの脱却を語っていた安倍総理が暗殺され,中国や韓国は未だに日本の戦争責任を叫んでいる.
日本における第二次世界大戦終結(終戦)日は1945年8月15日で,韓国(大韓民国 建国1948年8月15日)も中国(中華人民共和国 建国1949年10月1日)も日本の敗戦後に成立した国家である.韓国は,日本と戦っていたわけではなく,日本国の一部であり,当時朝鮮半島の人々は日本国民であった.中国共産党主席であり,中華人民共和国の建国者でもある毛沢東は,1956年に中国を訪問した元日本陸軍中将の遠藤三郎と会談した際,「あなた方も我々の紳士であり、我々はあなた方に感謝したい。この戦争を戦い、中国人民を教育し、散り散りになった中国人民を団結させたのはまさにあなた方であり、我々はあなた方に感謝すべきである」と述べたという.中国共産党は蒋介石軍(中華民国)が日本と戦い,蒋介石の軍隊が疲弊したところで中国大陸を掌握した.
しかし,現在,韓国も中国も自国の利益のため,日本の戦争責任をあげつらう.自国の利益になるため,戦勝国が作り出した戦後レジームを利用している.日本の利権になっていた満州国を自国の利権にしたかったアメリカ合衆国は,中国に軍事援助し,日本を日中戦争に引きずり込み,ABCD包囲網で,原油をはじめとする資源の日本への輸出を停止し,経済的に追い詰めていった.
日本の占領政策に携わったGHQの責任者,マッカーサーは,日本の事を知り,「もし原料供給を断ち切られたら1000万~1200万人の失業者が日本で発生するだろう。それを彼らは恐れた。従って日本を戦争に駆り立てた動機は、大部分が安全保障上の必要に迫られてのことだった」と米上院軍事・外交合同委員会で述べている.
A級戦犯とは,平和に対する罪(A項目):侵略戦争を計画・開始・遂行した責任 に該当するもので,罪の重さを示すものではない.また,この罪は1945年に連合国によって定められた「ロンドン憲章」に基づいて新しく定義され,それまではなかったものであり,事後法である.
日本の大東亜戦争が,侵略戦争であるとの断定のもとに成り立つもので,「日本を戦争に駆り立てた動機は、大部分が安全保障上の必要に迫られてのこと」であれば,成り立たない罪である.
東京裁判(極東軍事裁判)の判決は,占領状態から脱却するためのサンフランシスコ平和条約の第11条 "Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan"
「日本は、極東国際軍事裁判所の判決および日本国内および国外の他の連合国戦犯裁判所の判決を承認する」
があるため,法的には覆せないと政府は考えている.しかし,国会では戦犯釈放を求める決議が次々と可決された結果,多くの受刑者は恩赦・仮釈放された.また1952年,法務総裁によって戦犯は「国内法上の犯罪者ではない」と通達され,戦犯死者は日本国内では「公務死」として扱われることになっている.
戦争に負ける,とうことは,このような事態が発生し,後々まで国の主権を縛られることになる.このような事を後世に残すような事態に国を導いたことが,当時の国のリーダー達の負うべき罪なのである.
今年,戦後80年になる.以下の参政党の神谷宗幣代表の発言は,連合国にとっては日本国民に知られたくない事実である.やっと歴史的事実を口にできる日本人が現れた.
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2025年3月17日の日経新聞に,
徒歩で暮らしやすい東京の街、台東区が上位独占
東京で老いる
車生活に慣れた田舎者には,東京人の歩く距離は結構しんどいのも事実だが,様々な歴史を刻んでいるお江戸の町は知らないことを教えてくれる.
のれそれ
2月のある日、浅草橋の蕎麦屋を妻と一緒に訪れた。
なかなか予約が取れない名店らしい。もちろん予約は準備周到な彼女がしてくれたので、支払いは私の担当であったのだが、店に着いたら、私は財布を忘れていた。なんと初っ端からの失態である。
飲み物を頼み、まずお通しがきたが、ここで私たちが食べた事のない物が出て来た。のれそれ、と教えてもらったが、アナゴの稚魚だそうである。一見、こんにゃくかトコロテンの短冊のように透明であるが、よく見ると小さな太刀魚のような形をしている。そして小さな頭と眼が確認できる。透明で食べるのが申し訳ないような美しさであったが、私たちはいただいた。
その後は、お作りが出て来た。全て美味しかったが、特にサワラの刺身が美味であった。
色々いただいて,最後はおいしいお蕎麦でしめたのであるが,歳を取ってから,このような街で過せれば幸せであろう.